しけもく

備忘録

「春」

春は好きだ。

 

何も失っていないのに何かを取り戻せた気がして、それを暖かさが包んでくれる。

 

年末よりも1年を振り返ることが多くて、なんかんだで成長した自分を誇らしく思えるときも虚しく思えるときもある。

 

たいていの不安は後から見たら良い思い出で親友との初めての出会いもたいてい春。

 

 

春は嫌いだ。

この名前ぬるくて暖かい風が親友をどこかへ連れて行く。

 

せっかく1年間掛けて仲良くなれた仲を簡単に引きはがす。

 

「新しい」がこの春には詰まっていて変わりたくないと願っても変わらずにはいられない。知らない人。慣れない場所。思わず身体が強ばる。

 

校舎の床に付けられたワックスの匂いが昨
日のことのように思い出す。

「いつか」

5年前の今頃、ドラムをしてる友人から勧められたこの曲。

 

YouTubeのオススメにはあったけどなぜかそれまで聴かなかった。

当時数万回再生。

 

名前の聞いたことのないバンド名に再生ボタンを押すのをすこしためらったが勧めてくれるならと聴いてみた。

「坂道の登った先の暗がり」このワンフレーズだけで好きになるのは充分すぎた。

 

それから少ししてライブに行き、そこで改めて良さを感じた。

 

個人的にはナイトクロージングが1番好きで、よく聴いていた。

そこからさらにしばらくすると他のバンドに夢中になったのもあり聴かなくなったが、ここ最近になり急に名前を聴くようになった。

 

一度は離れたバンドが有名になって現れたあの感じ、別れた恋人がすごく綺麗になって目の前に現れた感覚と似てるような気がしてなんだか不思議な感じがした。

「富士山と好きな人」

新幹線から見る富士山はいつだって綺麗だ。

 

凛とした強さ、幻想さは変わらず美しい。

 

それは好きな人も同じなんだとふと気付いた。人は人を好きになるとどうやら年中無休24時間営業でその人が完璧なように見える。不完璧さすら込みでの完璧。いつだって美しい。

 

でも、それは遠くから見ているからだと近付いていつも知る。完璧な人なんていない。

 

言葉ではわかっていながらもどこかわかっていない。

 

遠くからでは見えなかった景色が近付いてから見える。

 

それすらも美しいと思えたとき、それは「愛」と呼ぶ。

「分析」

僕は分析をするのが癖で、人のことはもちろん自分のあらゆることにも分析してしまう癖がある。

 

1番ひどかったのは自分の泣く瞬間の分析で、泣く前の感情の起伏はもちろん、鼻先から
つんとして、そこから涙が出てくるのかなど脳内で実況しながら泣いたこともあった。

 

もちろん悲しみは半減するのだけど、ちゃんとそのときも悲しかったので泣くことは泣いた。

 

そもそも分析は何かを改善したくてその行動のためのものに過ぎないのにこの分析ばかりする自分が嫌いになったこともあった。

 

だけどこうやって文章を書くうえで分析することはとても役に立っている。

 

分析とは言語化でもあり、これがものすごく役に立っている。

 

そして理論的にもなるので言葉の道筋、どの順序で伝えたらより伝わるかも出来るようになった気がする。

 

ただ分析して人を上から見たり、斜に構えたりするしょうもない人間にならないことも常に胸に抱えて生きている。

「老害」

人は何かに当てはめるのが好きな生き物だ。

 

好きというより当てはめることで安心する生き物で、見たことない俳優がいれば誰かに似ている、初めて聴いたバンドの声にはあのバン
ドに似ている、など。

 

未知のものには既知のもので当てはめる。

そうすることで自分の知っている範囲に収めることが出来るから安心するのだ。

 

そうやって経験で未知を当てはめれば、いずれその経験のなかでは当てはめられないものが出てくる。

 

そのときに人に出来るのは「批判」や「拒否」しかなくなる。


だから経験の幅を広げる、知識の幅を広げることは受け入れ先を増やすことに等しい。

 

批判や拒否しかしない人間は性格が悪いのではなく、それしか出来ない。

「若さ」

生きてるいまが1番歳を取っている。

 

だから何かを始めるにはもう遅いと言うし、

歳下の人を羨ましく思う。

 

だけど何かを新しく始めるとき、そのときは生きてるいまが1番若くもなる。

 

事実は受け取りようだ。

事実をどう信じるかで真実は変わる。

 

そこに一人一人の正義が介在している。

 

若さの基準もないからこそ、いつだって新しいことを1番若いいまに始められる準備だけはしておきたい。

「きれいと言いましょう」

「肌きれいですね」と、ふと店員さんに言われたとき男ながらすごく嬉しかった。

 

最低限の化粧水、乳液しかしていないのに肌きれいの一言にこんなに嬉しくなるとは思わな
かった。

 

ここで言いたいのは男性はもっと女性に、「きれい、かわいい」と言葉にしようと言うこと。

 

これは自戒を込めているのもありますが、自分の照れより相手の照れを見たくないですか?

 

自分の照れなんてしょうもないプライドを捨てて好きな人を一言で喜ばせられるなら言わない手はない。

 

鈍感な男では見えない努力を女性はしてます。いや、ほんとに。

 

会ったら出会い頭に言ってみてください。
今日ぼくもそうします。